Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

1日の始まりに空を眺める。
束の間の、でもいとおしい習慣。

スタジオで
習慣となった動きを
生徒さんと共に見直すひと時
それも、いとおしい日常。

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Patriotという言葉をよく見かけるこの頃。
その言葉で思い出すのは
パトリオティズムとは、日常愛のことであって
愛国心という日本語は当たらないという長田弘氏が
氏の全詩集の巻末の書き下ろし「時と場所」で引いた
オーウェルのカタロニア讃歌の一節だ。

 

スペイン市民戦争の最良の記録の一つ、『カタロニア讃歌』をのこしたオーウェルは、スペイン市民戦争のカタルーニャの戦場体験を通して、ナショナリズムの対極にあるべきパトリオティズムの精神についてこう書いた。「わたしが『パトリオティズム (‘patriotism')』と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式への深い愛着であって、その場所や生活様式こそ世界で最良のものとじぶんは信じているが、それを他の人に強いたいなどと思ってもみないもののことだ。パトリオティズムは、軍事的にも文化的にも、本来デフェンシヴなものだ。ところがナショナリズムのほうは権力への欲望と避けがたく結びついている」。

もし、長田氏がまだご存命だったら
今をどう綴られるのだろう。
そんなことを時折思う。

Home Sweet Home

敵なしにはありえない戦争。
憎しみをもって打ち倒すまで敵と戦う戦争。
いつで戦争は、そう考えられてきた。
違う、とわたしはわたしに言った。
敵を打ち倒すべき戦争によって
危うくされてきたのは、敵ではなくて、
いつでも Home だったのだ。
Home というのは、人が
そこへ帰ってゆく場所のことだ。
わたしはわたしに言った。戦争くらい、
Home というのをつよく、
するどく意識させるものはない。
戦争にいったものは、死んだ者も
生き残った者も、かならず、
Home へ帰らなければならないからだ。
それが戦争だ、とわたしはわたしに言った。
Home Sweet Home という
ことば、知ってる?
アメリカを激しく引き裂いた
南北戦争に至る時代が生んだ歌のことば。
暗殺された悲しい目をした大統領が
愛したということば。すべての
戦争の目標は、戦闘でなく、帰郷なのだ。
わたしはわたしに言った。
紅茶にしよう。ピラカンサの実が、
日の光をあつめて、今年も赤く色づいてきた。
季節と共にある一日の風景が好きだ。
これが Home だ、とわたしはわたしに言う。
戦争をしない国にそだったのだから、
わたしは心底に思い留める。世に
勝者はいない。敗者もまた、と。

長田 弘『奇跡―ミラクル』(長田弘全詩集/みすず書房)

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