Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

カテゴリ「感覚の徒然」の記事

一脚の椅子

スタジオに向かう途中 店先に置かれた椅子に目がとまった。   カッシーナだろうか。   その一脚の椅子があることで 「場」が生まれる。     店主の場なのか 迎える誰かの場なのかはわからないが 椅子...

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夏も盛り

蝉時雨が降り注ぐ小径を抜け 土手の緑と空の青だけが そのアングルに収まるようなポイントで いつも一度足を止める。   それは写真を撮る時だけに限らないが 今日はどんな眺めが広がるのだろうという 小さな...

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梅雨明け

朝から青空が広がり 夏らしい日差しに満ちた梅雨明けの日。 これから真夏の間の朝散歩は 6時前のまだ涼しい時間帯になりそう。   夜はどこかで上がった打ち上げ花火の音。 ごく短い時間だったけれど 本格的...

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すきまをひらく

梅雨明けもおそらく間近 それは人間が作り出した括りだが 実際の自然の動きは もっとボーダーレスだし 懐の深い「間」があるような気がする。   身体や動きを探求していても 筋や骨といった くっきりと形を...

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今月の出張講座では いくつかのセルフケアに続いて ペアを組んで相手の体に触れ 侵襲的ではないアプローチで 緩めるという体験もしていただいた。   それは一方通行の矢印で「緩める」というより むしろ「緩...

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足手影

古語辞典で足半を引くと そのひとつ手前に収録されているのが 「足手影」という情緒豊かな言葉。   この言葉に初めて触れたのは 近藤四郎博士の『ひ弱になる日本人の足』を読んだ時だ。   ところで私たちは...

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母音の感触

母音の感触   幼子を見ていると その存在丸ごとから発せられる 生き生きとした母音の響きに感動することが多い。   すくなくとも生まれてからの数年間 他者からの見え方などに囚われないところで 躓くこと...

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祓って、歩く

様々なワークを通じて掴んだ 部分的な身体感覚を握りしめたまま 動きの中で「使おう」とすれば そこには不自然さや内に篭った意識として 見える人には見える形で表れてしまう。   「使い方」というより 「あ...

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スキマ

我々が既知のものから未知のものへとすすむとき、いつでも我々は理解したいと望むであろうが、しかし同時に「理解」という語の新たな意味を学ばねばならない。 長田弘『感受性の領分』(岩波書店)の中の 「ハイゼ...

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6番ポジション

この6番ポジションでのドゥミプリエ〜ルルヴェを どの瞬間も正直に行う事は バレエを離れてからも 毎日欠かさず続けているエクササイズ。   エクササイズというより 習慣かもしれない。   その日の身体を...

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