Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

梅雨明けに前後して蝉時雨も日々の音の中に満ち始めた。
虫の声、鳥の声、一日の間に繰り広げられる自然の交響曲を聴きながら、
情緒と同時に彼らと同じ生きとし生けるものの声として覚えられることの幸いを、
何故か今しみじみと感じている。

虫たちの声に誘われて、昔、図書館で借りて読んだ『日本人の脳 : 脳の働きと東西の文化』をもう一度読みたくなり、「日本の古本屋」のサイトを通じて古書を取り寄せ中だ。(Amazonの古書だと高い^^;)

 

そして、情緒という言葉で思い浮かぶのはやはり岡潔氏だ。

情緒とは私の入れられないもの、感情ではありません。感覚でもありません。例えば秋風がもの悲しい。それから時雨が懐しい、例えば、友と二人いると自ずから心が満たされる。こう云うの皆情緒ですね。“むかわずば淋しむかえば笑まりけり桜よ春のわが思い妻”と云うのも情緒です。


こんな風に、第2の心のあることがよくわかります。一番よくわかるでしょう。日本人は情緒の中に住んでいるから。情緒は第2の心の中のものだから。

「一滴の涙」 岡潔著 /数学者 岡潔思想研究会のWebサイトより

こちらの研究会では岡潔氏晩年の講演録や未発表資料をたくさんご紹介くださっている。

随分前に『春宵十話』をきっかけに、いくつか著書を拝読させて戴いたが、今『レンマ学』や『ヌーソロジー』関連の本と併読してみると、また以前とは違った感触を覚え面白い。

 

「知・情・意」ではなく「情・知・意」ということに触れられた

『幼子の世界』

ナチュラリゼーションを学ぶ方にはぜひご一読戴きたい。

自分で情を動かして、情の目で見極めるということを充分やらさなければいけないのです。

岡潔講演録(1)『幼子の世界』/数学者 岡潔思想研究会のWebサイトより

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