
編む
2020/12/02
母の通院に付き添う時は
なんだかんだと待つ時間が長い。
そんな時iPhoneを眺めるのは何となく嫌だし
読書という感じでもないので
自宅に余っていた毛糸で小さな編み物をする。
子どもたちが小さい頃は
結構こうした手芸などもしたのだが
うん10年ぶりだと
手が作業を思い出すにも少し時間がかかる。
それでも、何の模様も入れない
シンプルな細編みを続けていると
やがて手もそのリズムや加減を思い出し
無心な状態が訪れる。
何かを創るという目的より
むしろ淡々と行為することへの集中。
小さな網目の一つひとつに
その瞬間瞬間の意識が宿るとき
手を動かすという意志のようなものは
どこかに大きく後退している。
時折、指先の触覚だけは呼び覚まされるが
這い続けているときの
時は流れない居心地と
それは同じ感じだなとも思う。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント