
自習会と読書メモ
2021/01/27
自習会
このところは学生さんのパーソナルレッスンが続いていたが
昨日は今年初めての自習会で、
大人の生徒さん方と黙々と動く時間を共有した。
自習会では基本的に「お膳立て」はせずに
個々の探求をしていただいているが
その様子を見ながら
少しヒントとなるような働きかけや
問いかけを個別に行うこともある。
だが、その時必要な動きを
生徒さん自身の身体が結構知っているものだと
思うようなことも多い。
昨日もある生徒さんが
腹付き這い(脚を使わずに上半身の動きだけで這うワーク)を
数往復したところで「あれ?」というような表情をなさいつつ
腕をあれこれ動かしているので伺ってみると
昨年末、重たいフライパンで調理をしている際に
肘に違和感が生じて以来
ずっとその不快感が残り続けていたのだそうだが
腹付き這いをしているうちに消失してしまったという。
スッキリできて何よりだ。
読書
引き続き、昌原容成『日本語は神である:日本精神と日本文化のアップダウン構造』から印象に残った部分を備忘録として。
アメリカ・インディアンの言語を研究したB・L・ウォーフによれば、ホピ族の動詞にも時制がなく、時制以外の手段で時を表現するそうです。おもしろいことに、ホピ族は現実を「出来事 (events)というよりは生起 (eventing)として」分析してきたように見える、とウォーフは指摘しています(田島節雄「文化に内在する哲学」、『岩波講座・哲学』十三所収)。
ホピ族は極めて霊性の優れた部族であると聞いております。 ホピ族が現実を「生起(eventing)」と受け取るとは、彼らの言語が時制を持たないことも併せて考えると、日本語と同様に現実を本源世界からの「流れ」と受け取っているのかも知れません。……
日本語の奥を見つめることは、自らの意識を見つめることです。
「キ」は気であって、形の無い世界。
「ミ」は身であって、形の有る世界。
「キ」によって、形の無い世界とタテに繋がります。「ミ」によって、形の有る世界をヨコに整えて行きます。「キミが代」 とは、まことにタテヨコ十字交差して地球を美しく整え人類が繁栄して行こうとする時代にふさわしい地球の讃歌でありました。地球は、今や物質文明極まって、既に霊文化の時代に突入しています。
霊文化の時代とは、霊性に偏った時代ではありません。霊性に基づいて現実を美しく整えて行く時代です。現実調整能力を大きく発揮して行かなければならない時代なのです。
タテヨコ十字交差の日本語を持つ日本人の本領が発揮されるのはこれからです。日本人はそのことをはっきりと自覚すべきでしょう。
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