Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

【出張講座】

今月の出張講座でも、

動作における主観と客観のズレが

明らかになるようなシーンがあった。

  

下肢の荷重ラインを整えて立つということですら

理解していることと、していることの間には

思っている以上に隔たりがあるものだ。

  

こういうことを繰り返していると

わかるということが

ある通過点での

ある角度からの眺めでしかないことも実感され

時に愕然としたりもするかもしれないが

そのズレの中に

まだ伸びしろがあるということではないだろうか。 

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朝陽を浴び、オレンジ色に染まる桜の梢。
枝先の芽は少しずつ少しずつその膨らみを増しつつある。

 

【読書】 野口晴哉『偶感集』再読

何も彼も知り尽すということは、何も彼も判らないことが、本当に判ったことをいうのだ。
何も彼も判るつもりのうちは、判るということは無い。
知り得ない人間が、知り得ない世の中を、知り得ないままに歩んでいる。
手探りしている人は、知り得ないことを知っていない人だ。知り得ないことを知った人は、大股で歩んでいる。
闇の中で光を求めているのは、知り得ないことを頭で判った人だ。知り得ないことを本当に納得した人は、光を求めない、又頼らない。その足の赴くままに、大股で闊歩している。彼はその裡なる心で歩いているのだ。
 

―野口晴哉『偶感集』 雨と嵐 より―

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