Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

様々なワークを通じて掴んだ

部分的な身体感覚を握りしめたまま

動きの中で「使おう」とすれば

そこには不自然さや内に篭った意識として

見える人には見える形で表れてしまう。

 

「使い方」というより

「あり方」になるまで浸透させていくプロセスが

私にとっては

這う、歩くなどのシンプルな動き。

 

はじめはもちろん

それまでになかった、どこかの感覚にフォーカスを向けたり

触れられるところであれば軽く触れながら歩いてみたり

上や後ろからの自分の動きをイメージするような

三人称の視点を持つような感じで歩いてみてもいる。

(動画などで実施に感じていることとしていることの誤差をチェックしたりもする)

 

それは、自分の身体に対するプレゼンテーションみたいなものだが 

ただ、その上で毎回必ず入れているのが

何かを掴んだ手のひらを開いて

ゼロに戻す時間とでもいうのだろうか。

極力思考を祓って動く時間。

 

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