折り畳む
2021/07/25
先日は股関節につまり感を覚える方に
チューニングのワークをいくつか。
股関節の後ろ側の働きに留意しながら
骨格ラインに正確に関節を折りたたんでいく
シンプルなワークだが
私はつまり感などが無い時でも
そのいくつかのバリエーションを
時折チューニングのために行う。
が、実家の庭仕事などで
深くしゃがむ機会が多い時期は
あまりそれも必要としない。
日々の暮らしの中の動きは
それ自体が稽古にも
調律にもなる。
昨夜は野口整体の
野口晴哉氏の言葉を味わった。
しかし人の心に訴えるものは訴えたことではなく訴えられぬ心である 所作の余白が心を動かすのであり、芸術が心によって心を対象として行なわれる限り余白を尊ぶのは本当であり 或る形に心を盛り込むことは その余白を拡げることであり、従って余白を活かすために或る形への制限が必要になったのであろう
その形自身感覚的に受け入れやすい形をもつだけでそれ自体心を動かす意味はないその形をもって余白を活かすことに形の意味がある
芸術として表現の形はそれ故に不自由にできているのである。それ故に心が主となる形は要するに形である
形が拡がると心の余白がなくなる 感覚的に十二分な表現は心に訴えるものがない 笑うだけ笑ったあとは可笑しくない泣くだけ泣いたあとは悲しさは残らない
芸術はその形を如何に簡素なものにするかということに進路がある 如何に慎むか如何に抑えるか
形の表現は完全なほど心から離れる 複雑な形を伝えるのは簡素な心である
芸術は先人の形にあるのではなくその形から余白としての心を創り出すところにある
創り出すことのないところに芸術はない
しかし形を創るのではない
勿論形を表現することでもない
生きたものを産むのである しかし形ではない
野口晴哉 『偶感集』 全生社より
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