Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

少し前になるが、娘が嫁いで空いた部屋の押し入れ整理をしている時、普段あまり使っていず上段に収納していた掃除機にうっかりと肘が当たり、右足の上にガツンと落としそうになった事があった。

 

「あっ!落ちるっ!」と思った時には…というより、思うより早いくらいのタイミングで身体は反応していた。

意識的だったら多分、足を退ける様な動作をしてしまっていたかもしれないが、半身を引く様な体幹の反応に足は導かれる様に落下点から退いた。

 

多少掠ったので甲の部分に擦り傷は出来たものの何とか直撃は回避できたし、足に一切力みがなかったから擦り傷で済んだのだろうと思う。

 

結婚した当初に買った古い掃除機で結構重量もあるし(ものもち良すぎ?^^;)、「お〜、危なかったぁ!」と実感したのは、事後しばらく間があってからで、渦中は寧ろ掃除機が足もとに落ちていく像がスローモーションの様に見え、現実の時間の長さと自分の中の時間の進行が違うように感じられたのが印象的だった。

 

その時間の感触は全く初めてではなく、舞台で幾度か覚えた感触でもあり、そうしてどこか伸び縮みするような時間感覚の中で半ば無意識に反応する身体は、自分の身体でありながらも、まるで別の生きものであるような気がする。

 

そうした咄嗟の反応が生じる度に、その別の生きものの如き潜在的なシステムの方がずっと賢いように思えてきて、まだまだ身体や思考の癖がその邪魔をしてしまっているのだなと実感すると同時に、その反応から学び直す面もある。

 

少なくとも、何も無いところからそうした現象は生じないだろうし、その現象を成り立たせる要素は様々なワークを通じてアプローチしてきたので、こんな時「ああ、その働きかけは選択肢として届いていたのだな。」と感じられる。

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砂利道歩きを楽しむとき、このテコンドーというシリーズの靴も比較的ソールが薄いから好きでよく履く。
まだ生産してるのかは不明。

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