概念をほどいていく
2025/11/24
週に一度96歳の義母の膝のケアをするが
先週は珍しく、腕を上げようとすると右肩が痛いからそっちをみてくれと。
初期のインピンジメント。
相撲好きの義母はこのところ猫背姿勢でTVに齧り付いている時間が長くなっていたのを思い出しながら、大胸筋など身体の前側で引っ張っている筋肉を緩め始めると
「痛いのはこっちなのよ。」とか
「こういう動きをしたら痛くなった」言うが
「そうですね、でも痛みを感じるところや
痛みに繋がった動きだけが必ずしも悪いという訳ではないのですよ。」
と、何故そこに痛みが出る様になったのか
普段の姿勢との関係も含めて
なるべく易しく話しをするが
認知症もあるので話しただけでは
10分もすれば忘れてしまうだろうとも思いつつ^^;
少し肩周りや気持ちが緩んできたところで
座位でいつもの様に腕を上げてみてもらうと
当然まだ痛い。
「そう、まだ痛いですね。
じゃあ、ちょっとお背中を伸ばして座ってみましょうか。私が少し肩甲骨の動きを助けますから、もう一度ゆっくり腕を上げていってみましょう。」と誘った。
「あれ?痛くない!」
と気づいた時の瞳に、今なら少し記憶に残りそうという光を感じた。
だいぶボケてはいても
感覚…特に快の感覚や驚きは
僅かな時間でも覚醒を導くものなのかもしれない。
暫くは姿勢の維持や肩甲骨の動きをサポートしながら
同じ動きを繰り返して
次第に補助なしで痛みなく動かせる様になったが
その間も何故痛くなるのか
同じ話しを表現を少しずつ変えて繰り返した。
また、「食べ物もその質や食べ方で栄養にもなれば、病気のもとにもなるでしょう?姿勢や動きも同じですよ。」と、
栄養学を専攻した義母に少しでも分かりやすいであろう例え話にしながら
猫背になった時、姿勢を正した時の
肩甲骨の位置の違いや
腕の上げやすさの違いも感じて貰った。
どれだけ記憶に残るかは微妙だが
当初は聴いたことを
「痛いところが悪い」「痛みが出た動きが悪い」という思い込みに引き寄せている感じで
全く響いていかなかった話も
痛みの無い動きを繰り返す中で聴いたことは少しは響いたのか
「一日中背中を丸めてテレビを見てるしね。」
とか
「腰の後ろにクッションを置いて背中が丸まらない様に座る様にしてみようかな。」
と自分なりの改善案を出してきたり
「こうして動かすと気持ちが良いわね。」と
セルフケアの動きを自ら繰り返していた。
それから4日ほど経った今も
とりあえず痛みはぶり返していない様子。
毎週の膝のケアの時もそうだが
組織をほどいているというより
概念をほどいているのではないかという気もする。
膝OAがすっかり良くなる訳でも
痛みがゼロになる訳でもなくとも
少なくとも悪化せず
薬だとか湿布だとか分厚いサポーターは不要になり
家の中や時には庭を歩く分には杖も不要になり
小康状態を保ちながら暮らせているのは
施術をしているからではなく
「私が元気でいられるのは、こうして毎日できることを自分でしながら動いているからよね。」
と自ら言うようにもなった
義母自身の意識や行動の変化の積み重ねによるものだから。
例え多くは忘れてしまって
毎回同じ話の繰り返しの様でも^^;
ケアをする限り、そこを伝えようとすることは諦めないだろうと思う。

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