折り目
2026/02/04
日は少しずつ長くなってきたけれど
陰極まる節分の日は
ヘンデルのパッサカリア(Passacaglia)を聴きながら
ゆったりとした呼吸と共に
心身の過剰なものを削ぎ落とし
陽の気の通り道を開けるように丁寧に動いた。
立春、朝は窓越しの陽の光の暖かさを味わいつつ
ごく軽いストレッチで身体を目覚めさせていく。
節目、転換点、境界
天体の動きのリズムに
自身のリズムを合わせ整える
ささやかな習慣だが
折り目をつけるようなその切り替えがあると
やはり季節の移ろいに身体が馴染みやすく
体調を乱すことが余り無くなるから。

節分前夜
四半世紀前
四半世紀前の自分はどんなことを考えていたのだろうと古い日記を読み返した。
今に繋がる源の問いがそこにはあった。
理解していることと身体や動きを繋いでいるかのような「意識」
でも、自覚する以前にすでに働き始めているものに対して果たして何ができるのだろう
そんな問いをずっと抱いてきた。
意識の及ばない、意識では手遅れの何かに働きかけていくこと
それは、ある方向性を持った
でも、操作するとか意図するというよりも
もっと無心な祈りのような謙虚さの中で
繰り返される「動き」
一見、単調なようにも思える
それらの内に存在する複雑さ、豊かさを
意識は十分に捉えきれなかったとしても
身体は知らず知らずのうちに
そこから漏れ落ちた様々なものをも
拾い上げ、立ち上がらせて
あるときふと、機が熟したかのように、ひとつの気付きとして
意識にかえしてくれるものなのかもしれない。


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