Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

父が他界してからの1年間は介護ロスとでもいうのだろうか…心身両面で不安定気味だった母も、闘争逃走モードの傾向が幾分落ち着いてきて、最近では持て余す時間を父や先代の遺品整理、自身の身の回り品の断捨離に費やしたりしているようで、先日もこんなものが出てきたと見せてくれた。

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父の生家は曽祖父の代から神田で金襴緞子や表装材料の問屋を生業としていたが、東京大空襲で家も店も焼失した。

その戦後の苦難の時期に祖父の妹にあたる方にこの店を開く場を提供したということは母も知ってはいたそうだが、余り詳しい話は聴いていないそうだ。

 

ただ、この和紙製のチラシに描かれている行燈は骨董好きの祖父が晩年まで身近に置いて使っていた安土室山時代ものだとかで(電球で使えるように改造してあった)、私の記憶にも祖父の病床のイメージと共に刻まれている。

 

母は、「お店をやっていたのは妹さんだろうけれど、この文章は間違いなくお爺ちゃまのものね。こういう気取った物言いをする人だったから…」と、幾分棘のあるコメントもしていたが(まあ確かに^^;)

 

 

今の私より若い年代から祖父母・叔母の介護や大幅に負担の増えた生活費の工面の苦労を同時に、そして長きに渡り引き受けてきた母には色々思うところもあるだろうけれど、口ではそう言いながらも父や先代の日々の供養も今だに欠かさないところが、母らしさでもあるような気がした。

 

私が中3の秋頃から同居し始めたものの、母方の親戚と比べると父方の親戚とはちょっと距離感があり、その記憶はむしろ同居以前に年に数回祖父母宅を訪れた際に、両親のためにいつもサイフォンでコーヒーを淹れてくれていた祖父の後ろ姿や、着物に襷掛けをして庭木やテッセンの世話をしていた寡黙で耳の遠い祖母の姿、無心に日本画を描いている叔母の記憶の方が鮮明な位で、同居してからの記憶が断片的なのは、私自身が激変した環境に適応するのに精一杯だったからかもしれない。

 

だから思春期にはあまり祖父との会話の記憶は無いのだが、今になってほんの少し「誰かの解釈を介さない祖父」に遺された言葉を通じて出会ったようでもあり、その祖父が亡くなった日のことを妙に鮮やかに思い出したりもしている。

 

確か高校2年ごろの5月、学校にいる時に特に負荷をかけた訳でもないのに櫛の歯が折れて胸騒ぎを覚え、帰宅してから祖父がちょうどその時刻頃他界した事を知った。

 

同居してからろくに会話もしなかったのに、お爺ちゃまはちゃんと私にもお別れの挨拶をしにきてくれたんだ…と、当時気付けなかった祖父の眼差しを感じながら、同時にもっと接点を持てば良かったと後悔する想いもあったから。

 

そして、その祖父が名付けてくれた「康」の字がある名前のおかげで、もしかしたら私は今も比較的健やかに生きていられるのかもしれないと歳を重ねるほどに思う。

 

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