非日常的月間の徒然⑪
2020/05/04
先日友人にメールしながら
どうにでも動けるようにスタンばっている日々は
ずっとドゥミプリエしているみたいな肚感覚
などという表現が自然と生じてきた。
立ち止まることを余儀なくされているようでも、立ちすくむように身構えたり右往左往して仕舞えば疲弊してしまうから、緩められる関節を緩めプレパレーションして過ごすようなこの状況なりに肚も据わってくるとでもいうのだろうか(笑)
私が一方的に提示していくというよりも、状況を鑑みつつ、ご縁を戴いている皆さまとの間で歩み寄り、工夫し合う中から自ずと先月のかたちが生まれてきた。
そして、そのいつもと違うスタイルの中であるからこそ感じられたこと、学んだこともあった。
予期していた通りこの状況がまだ続きそうな当面は、その時々の状況に応じて都度機会を創造しあうような、予め定まったかたちのないかたちとしてその時なりの最善を模索していくような日々が続いていくのだろうと思う。
でも何か、その模索の中から新たなものが生まれてくるような気もしている。
今日印象に残った神戸新聞のニュース
神戸市民4万人に感染歴か 試算の病院長「公表患者260人と隔たり。本当に大きな驚き」
そこに書かれている通り、検査結果の精度や免疫獲得云々には議論が必要だとしても、
「さまざまな場面で、実はわれわれの体はウイルスに接触していると考えるべきだ。PCR検査で陽性だった人以外が、全く病原体に接触したことがないという考え方は違う」
という言葉はむしろ現実に即しているような気がする。
「(PCR検査の)陽性者だけがかかっていると見る世界とは、違う裾野の世界が、現在進行形で広がっているという認識は大事。
その認識から眺めていくと、もしかしたら見えてくるものは随分と違うかもしれない。
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