蔓延する喩えの言葉
2020/04/30
先日、長田弘さんの『世界はうつくしいと』から
戦うだとか、最前線だとか、
戦争のことばで、語ることはよそう。
という一節を引用させて戴いた。
この詩を読み返した時、だいぶ前に読んだ
スーザン・ソンダクの言葉を
今の世の中に流れる言葉に感じる違和感と
重ね合わせながら思い出した。
その本は残念ながら手放してしまったので
今、私の手元にはないが
こちらのブログでその思い出した言葉を
ご紹介くださっている。
耳にし
また用いている
喩えの言葉によって
知らず識らずのうちに
私たちは「恐れ」や「非難」という情動へ
「差別」や「排除」の意識へと
扇動されてはいないだろうか。
だから、メディアの均質的な隠喩に
そして、ついうっかりとその言葉で
ものを考えたり
受け止めてもしまうかもしれないことに
いつも以上に敏感になってしまうから
言葉が押し寄せてくるような
TVやSNSからは少し距離を置いているのだが
TVというのは(ラジオもだが)
語り手の声の調子や呼吸によっても
或いは用いられるBGMや効果音によっても
それが冗長されてしまうから嫌なのだ。
私たちは
蔓延するウィルスによってのみでなく
蔓延する喩えの言葉によっても
知らず識らずのうちに
不健康へと押しやられてはいないだろうか。
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