Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

昨日は出張講座に車で出かけたが、お教室近くのパーキングに入れてエンジンを切ったあたりで例の緊急地震速報だった。静かになった小さな車の内だと、あの音もなお大きく感じられてビックリ^^;

が、ビックリしつつも(その情報では)千葉南方沖とあったので揺れが来るまであと何秒?と考えつつ車の周りを見渡して倒れてくるような物が無いかをチェックしていたりと、ニンゲン案外とっさの時には身を守るための情報をキャッチしようと感覚がフル稼働するものだと思ったり、同時にそれを客観的に眺めているような意識の立ち位置も覚えながら、瞬時に動き回る意識とどこか静止しているような意識との間に感じるスペース感に何か面白さを感じたりもした。

結局千葉南方沖ではなかったようだが、誤報でお騒がせであっても無事で良かった。

 

 

昨日の講座は小さな筋の働きの再発見がテーマだった。

それ自体が大きく関節を動かすとか支えるとかではなくても、パワフルに働く筋との複合体として寡黙に働いていたり、或いは働くことを忘れてしまっている筋の再発見というのは面白いものだ。

その働きの有無で変わる動きの感触を味わう。

大抵、そういう再発見のワークは小さな動き、小さな力で行われるが、時には何かが大きく覆るような驚きが伴う場合もある。そうした自分の身体のうちの未知と出会う瞬間の人の姿や表情はステキだ。

※余談だがステキは漢字で書くなら素敵より素的の方がしっくり来るなあ。

「素敵」という熟語には、どうして「敵」という漢字が使われているのですか?

幼子が何かを発見したり、集中してそれを繰り返している時の「素のまま」のようなす的さだから。

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