Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

ふと見上げた空の青の深さと高さに秋を感じるようになった。
自然の猛威への警戒を促す言葉が
年毎により厳しさを増した表現となっていく中で
備えられるだけのことをしたら
大難が小難へ、小難が無難へと祈るより無いという
人間のちっぽけさを思い知らされつつも
大きな被害が出ないことをただただ祈り続ける週末だ。

37be537b704043dab7aa508e09110ee6

音や声について綴られた言葉が
何かと思い出されるこの頃だが
昨夜は再読した長田弘氏の『幼年の色、人生の色』という本の中の
「ひそやかな音に耳澄ます」というエッセイの一節と
佐々木基之氏の『耳をひらいて心まで』の中の一節が
どこかハーモニーを奏でるようにして
しんみりと心に響いた。

子どもたちをつれて、作家は草むらに草ひばりを探しにゆく。だが虫の声に、子どもたちは関心をもたない。それほど身近な自然が無関心なものになったことに、作家はおどろく。かつては街のなかに自然が溢れていた。心のなかにも自然が溢れていた。「―が今は若い人々の心に、自然は単純な自然のままではもう生きていない」。作家がそう誌した「今」とは、太平洋戦争とよばれた昭和の戦争の直前の「今」のことだ。
追い越してゆく音。耳をつんざくような音。叩いて音がするのが文明開化だとした明治の俚言にならっていうと、日々に音をつくりだすのが文明のありようであるなら、文化というのは静けさに聴き入ることだと思う。もっとも単純なことだ。だが、もっとも単純なことが、いまはもっともむずかしい。

長田弘『幼年の色、人生の色』 みすず書房

実際、バイエルも満足に音楽にできない人が、ベートーヴェンやショパンを奏くとしたら、それはもうテクニックで形だけ奏くことになってしまいます。こんな奏き方で、大曲難曲に慣れ切っている人を、耳と心で奏くように導くのは骨が折れますが、分離唱で耳をひらくことによって、バイエルの素晴らしさを発見し、「この頃はバイエルが楽しくて楽しくて、 こればかり奏いています」と言い出します。バイエル は易しくて音楽的な曲ですから耳と心で奏くのに一番いい教材です。このバイエルのような単純な曲でも、素晴らしい音楽になるのだということを体験してほしいと思います。
音楽家として功成り名声をかち得た人達にしても、やがて年を経て、我が指も身体も衰えるときは必ず来ます。そのとき、我が子、我が弟子が耳と心で奏する音楽を聴けたなら、これ以上の幸せはないのでは……そして老後は、たとえバイエルの二声を奏くことによっても、明日の生きる想いを失うことはないでしょう。

佐々木基之『耳をひらいて心まで』 音楽之友社

静けさに聴き入るということ
そしてここでいうバイエルに通ずるように思うのが
私にとってはごく単純化した動きの中で
幼子のように身体を聴き、自然を聴くということ。

そう感じるのだ。

E87d3d6a9abc41cc9d891ada0930f71a

コメント

この記事へのコメントは終了しました。