Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

先日生徒さんと『ジゼル』について話しているうちに
以前その作品を踊った時に買った1冊の本のことをふと思い出した。


2幕のヴィリの女王ミルタによってジゼルがヴィリとして迎え入れられるシーンでは、この世とあの世の境界を表すような連続した回旋、重力からの解放を表現するかのような連続した跳躍やリフトなど、動きに込められた意味や背景となる森、沼、月というモチーフについて考えたり、ヴィリ伝説についてもっと知りたいと思い、そのストーリーの着想を得たとされるハイネの『精霊物語』を読んだのだった。

 
一神教であるキリスト教がギリシア・ローマの古い神々やゲルマン民族の民間信仰などを排除しながら広がっていく流れの中、ハイネが抱いていた想いが滲み出ていたりもして当時もとても面白かったし、ジゼルという作品を観る楽しみも広がる1冊だと思う。



オーストリアのある地方には、起源的にはスラブ系だが今のべた伝説とある種の類似点をもった伝説がある。
それは、その地方で「ヴィリス」という名で知られている踊り子たちの幽霊伝説である。ヴィリスは結婚式をあげる前に死んだ花嫁たちである。
このかわいそうな若い女たちは墓のなかでじっと眠っていることができない。彼女たちの死せる心のなかに、死せる足に、生前自分で十分満足させることができなかったあのダンスのたのしみが今なお生きつづけている。
そして夜中に地上にあがってきて、大通りに群れなして集まる。そんなところへでくわした若い男はあわれだ。彼はヴィリスたちと踊らなければならない。彼女らはその若い男に放縦な凶暴さでだきつく。そして彼は休むひまもあらばこそ、彼女らと踊りに踊りぬいてしまいには死んでしまう。婚礼の晴れ着にかざられて、頭には花の美しい冠とひらひらなびくリボンをつけて、指にはきらきらかがやく指輪をはめて、ヴィリスたちはエルフェとおなじように月光をあびて踊る。彼女らの顔は雪のようにまっ白であるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするように明るい声で笑い、冒涜的なまでに愛くるしい。そして神秘的な淫蕩さで、幸せを約束するようにうなずきかけてくる。この死せる酒神の巫女たちにさからうことはできない。

 

教会は古代の神々を、哲学者たちのように、けっして妄想だとか欺瞞と錯覚のおとし子だとは説明せず、キリストの勝利によってその権力の絶頂からたたきおとされ、今や地上の古い神殿の廃墟や魔法の森の暗闇のなかで暮らしをたてている悪霊たちであると考えている。そしてその悪霊たちはか弱いキリスト教徒が廃墟や森へ迷いこんでくると、その誘惑的な魔法、すなわち肉欲や美しいもの、特にダンスと歌でもって背教へと誘いこむというのである。

この辺りには、パンデミックの名の下に封じられた
ダンスや音楽の世界をふと思ってしまう^^;

 

そしてもう一つ強く印象に残っているのがこの1節だ。

信心深い斧に抵抗した聖なる樫の木は中傷された。つまりこの木の下で悪魔たちが毎晩ばかさわぎをし、魔女たちが地獄のみだらな行為をしていると今日ではいわれている。しかしそういわれても樫の木は今でもドイツ民族にとくに愛されている。樫の木は今日でもドイツの民族性のシンボルである。それは森のなかでいちばん大きくて強い木であり、その根は大地のいちばん底まで達している。その梢はみどりの軍旗のように、誇らかに空中にはためいている。詩にでてくるエルフェはその幹に住んでいる。聖なる英知のやどり木がその太い枝にまつわりつく。ただその実は小さくて人間には食べられない。

『流刑の神々・精霊物語』ハインリヒ・ハイネ著/岩波文庫

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8人のバレリーナによる演技で同じシーンを見てみるのも面白い。

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