
in fragments 11/4
2020/11/04
レッスンにおいて
基本的にあまり鏡に頼らせたくないのは
主としてキネスフィアも含めた
身体と動きの空間の再構築に
関わる面があるから。
その意味においては
このballet rotoscopeの映像も
とても参考になると思う。
ただ、こうしたイメージを持つことも大事だが
自分の手足や
身体中の関節がどこにどのようにあって
どのように重さを支え
どのように呼吸しているのかを
感じられているつもりの身体でも
その身体イメージがどれだけ不確かなもので
身体図式が歪んでいるものであるかを
ダンス以前のはるかに基礎的な動きの中で直面し
その誤差を修正していくことを重ねるから
自らの感覚を疑う、考えを疑うという素地が
育まれる場合もあるのではないかと思う。
手で身体の重さを支える
ただそれだけのことでも
どれだけ開かない手になり
どれだけ肘を捻らせて
どれだけ無駄な力で負担をかけ続けているか
気付くことから
違う選択肢が生まれても来る。
ただ、私個人的には
その空間に意識が縛られている限り
例えばアミニズム的世界観を持つ
ロマンティックバレエなどでは特に
可視的物質世界を超えて広がる
霊性や情緒を観客と共有する場は
生まれ難いのではないだろうかと思ったりもするし
踊る喜びの原点は
私たちが今見えなくなっている空間の中に
鼓動しているのではないかと感じている。
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