Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

我々が既知のものから未知のものへとすすむとき、いつでも我々は理解したいと望むであろうが、しかし同時に「理解」という語の新たな意味を学ばねばならない。

長田弘『感受性の領分』(岩波書店)の中の

「ハイゼンベルク」というエッセイの一節。

 

進もうとする手前の理解に縛られない

進むという経験を

私は面白いと思う。

 

手前で思考し推測した理解と

体験ののちに訪れる理解は

部分は一致し、確かにその要素を持って

説明できたとしても

やはり同じではないから。

 

部分と部分の間にあるものを

身体で聴くための隙間を開いて動く。

 

意識と無意識の境目から

ふと立ち上ってくるものに

出合う面白さを感じる頻度が

加速しているような気がする昨今。

1c06c23b786e494b8a9145435cd5d370

 

 

散歩道の眺め

日々変わる紫陽花の表情

D1752d53f2f84dc0ae2765f5c05441ab

0e9fd0b4ee664126ba0de45bfb8f4534

コメント

この記事へのコメントは終了しました。