
秋麗
2022/10/29
街路樹が梢の方から紅葉し始め、朝陽を浴びた柿の実やキバナコスモスのオレンジ色と鮮やかな眺めが移ろう出張先までのドライブは秋麗を味わえるひととき。
距離的には世田谷街道を使った方が近いのだが、往路はいつも比較的渋滞が少なく、途中の里山の風景が楽しめるルートを走る。
一瞬一瞬の眺めに心がシャッターを切るように、その美の記憶が自分の内に重なっていく。
こんな日常の断片に感じる愛おしさは年毎に増していくように感じる。そう感じるのを重ねるごとに目にするものの彩りも「懐かしい鮮やかさ」を取り戻していく様でもある。
Naturalizationという体験は少なくとも私にとって、単に運動機能の再構築や健康増進の手段ではなく、こびり付いていた様々な概念を削ぎ落として、あらゆる事に新たに出会っていくための道でもある。
概念に縛られたままの我が前のめりになっていては身体の声も聴こえてこないし、動きとしての現れも邪魔してしまう。
そして、染み付いていたものが削ぎ落とされるから、そのスキマに既知の概念では測れない面白いものとの出合いもあるのだと思う。
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