Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

弥生が始まる日

目覚めると鮮やかな朝焼け。

春はあけぼのという歌の趣きや

イメージする色合いとはちょっと違うが

こんな美しい色彩に包まれて

1日が、そして月が始まると

その瞬間を目にできた事を幸いに感じる。

 

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聴覚

義母は今、補聴器を作ってもらっている最中だが、

着用してもすぐに快適な聴覚が得られる訳ではなく、

「難聴の脳」になってしまっている

聴覚に関わる機能の再構築には、

それなりのリハビリや時間も必要。

 

紹介された耳鼻科で聴覚の詳細な検査をしてみると、

義母が自分で感じて解釈していた事と

実際に生じている機能低下の間には、

随分とズレがある事も明らかになった。

 

本人はずっと、

「男性の低い声は聴こえ難い。女性の高い声は聴こえる。」

と言っていたのだが、

寧ろ高音域の方が全然聴こえていなかった。

 

この結果は私には腑に落ちた。

というのも、義母と頻繁に話す様になって

声を大きくするだけでなく、

トーンを下げると伝わりやすいと感じていたから。

 

またその結果に夫も

「親父の小言、聴きたくなかったんじゃない。」と言っていたが

几帳面で、(義母曰く)クソが付くほど真面目な連合いと暮らしてくる中で、

良妻賢母たれと教育された世代でありつつも、

本質的には大らかで、

末っ子育ちの甘えん坊的な側面もある義母が

耳を塞ぎたくなる様な心因的な影響も、

やはりあるのでは無いだろうかと感じてきたから。

 

何気なく使ってきた「耳が悪い」という言葉も、

不都合を自覚できる現象の一部分を捉えているだけで、

音を処理する脳の機能や

無意識の内の心理的側面からの影響に

考えが及ばないまま、

耳という器官だけを悪者にし、

またある面では、恐らく無意識的に

その悪者に依存してきた表れかとも思う。

 

でも、自分の身体に対する考えはかなり頑なだった義母だが(^^;;

「時間をかけて壊したものは、時間をかけて良くしていかなきゃね。膝も同じね。」

という言葉を自ら呟く様にもなって

そういえば最近腰の痛みは訴えなくなったりと

義母の内でも何かが少しずつ変化し始めている様だ。

 

身体の課題に取り組んできて思うのは

本質的な改善に至るには

見ないように、感じない様にしてきたこと

無かったことにしようとしてきたことと

対峙しなければならないフェーズが少なからずあり

それを乗り越えてやっと取り戻せる居心地があるということ。

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