Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

彼岸を過ぎて

日が短くなったことや

半袖では少し肌寒く感じる朝に

秋へのシフトを実感する。

 

過ぎゆく季節を少し惜しみながらも

新たな季節の到来に心身を馴染ませつつ

変化に順応していく術を

私たちは知らず知らずのうちに

身に付けているのかもしれない。

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視る力、それは単に目という器官だけでなく

脳神経系など全身の様々な働きと関わり合いながら成り立ち

それは姿勢にも柔軟性や運動能力にも大きく影響しているということを実感するほどに

視力自体ももっと良くしていけるのではと思う様になった。

 

側から見れば衰えこそすれ、

今更良くなることなどあるのかという年齢だが(笑)

それでもチャレンジしてみるのも面白いではないか。

 

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コンタクトも合わず

6年前に作った2つのメガネは

運転時と、舞台鑑賞やたまにPC作業で仕方なく使うのみで

免許の更新に問題ない程度の弱めに矯正してもらっているが

どうも人工的に矯正された視界や

鼻や側頭部にモノがあり続ける感触が苦手で

普段は裸眼というのが現状。

 

左右差があるので右目に頼りながら

なんとか裸眼でやり過ごせてはいるものの

それだけにブレインバランスにもよろしくないとは

重々承知しながらも先送りにしてきた課題だが

ベイツ法を見直してみようと調べるうちに

所謂、目の専門家では無いけれど

十数年かけた試行錯誤の結果ご自身の視力を改善させた

産婦人科のドクターが提案するメソッドに関心を持った。

 

廉価なkindle版の書籍に

正直なところ最初は大きな期待はしていなかった。 

 

が、そのシンプルだけど

必要な要素が上手に組み込まれたトレーニング自体に

とても良い感触を覚えているし

最近の知見も踏まえながら語られる考察や

理論的な面でも学ぶところが多く

良い意味で予想を大きく裏切られた。

 

紹介されているトレーニングのうち

基本的な幾つかは既に取り組んでいたが

このメソッドに従い

全身の動きを伴う2つのトレーニングと

視運動性眼球運動のトレーニング

ガボールアイのトレーニングが加わった。

 

前庭動眼反射は意識や意図を介さずに起こる眼の運動である。意識を持ち見ようとすることは妨げにしかならない。無意識に近い、意識の揺らぎを、ただそこにある、あるがままの姿勢で視点を固定し景色の流れていくことを楽しんでほしい。(31p

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胎動のような動きから始まり、首が座ることによる頭の動き、また寝返りのような回転運動が視覚と前庭感覚を統合させることにつながると考える。

この発達の過程を見ていくと不思議と近視から正常視力へ戻る過程を彷彿とさせる。

近視は眼が悪くなったのではなく目が赤ちゃん返りを起こした現象なのかもしれない。(23p

Dr.Kou「視力回復の瞬間」

というようなくだりにも大いに共感を覚えた。

 

そう、赤ちゃんの動きからやり直してきた訳だが

赤ちゃんと違って0からの出発ではない目に

まだまだやり残しがあったということを

このところ痛感していたから。

 

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その取り組みを始めて暫く経った頃

ある朝歩きながらふと

「もっと目を引っ込めた感じで良いかも」

と違う選択肢が湧いてきた。

 

それは舞台ではよく感じることのあった

捉える目ではない「受け取る目」の在り方や

「後頭部に像を映す」感じにも似ているが

違うのは比較的見える方の「右目を引く」というイメージが浮かんだこと。

 

そして共通しているのが

そういう在り方になった時に

フッと視界がクリアになる瞬間があること。

 

舞台で照明もあったり

客席は暗いにも関わらず

客席の後ろ三分の一位の列にいる人の顔が

はっきり見えたり

私の視力では普段はよく見えない

バミリのテープがくっきり見えた

あの瞬間を思い起こすような。

 

その体験を

私はこれまで気のせいとか

舞台上の何か特別な状況に於いての主観に過ぎないのだろうと片付けてきたが

それに似た瞬間を追体験した事で

もしかしたらそれは

まだ開発の余地のある伸び代なのではないかと

感じる様にもなった。

 

まだそれが持続する訳ではないが

これがクリアフラッシュという現象なのかなと思いながら

見え方だけでなく

その時の呼吸の感触や足裏の感触

姿勢や変化や歩行のリズムなど

全身の感覚を味わった。

 

視覚や前庭系の働きや

呼吸にしろ、歩行にしろ

潜在的な働きによる部分を変えていこうとする中では

働きかけてすぐの反応もあるが

むしろ、それらを少しずつ繰り返しながら

後になってちょっとした閃きと共に

働きかけた全てがひとつの調和として

身体から教えられるように

或いは提示されるようにして

違う在り方と出合うことが多い。

 

 

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