November
2025/11/13
透明な朝
キジバトや他の小さな野鳥たちの声を伴奏に
一段と声量があるソプラノ歌手のようなガビチョウの声が
響き渡る初冬の透明な朝。
微睡みながら、見ている訳でもないのにかんじる
その「透明」という印象はどこからやってくるのだろうと思った。
それはもしかしたら
「思う」という意識の活動が始まる間際の
ただ在るという透明さの余韻なのかもしれない。

学ぶ
この1週間ほどは前庭系についての学びに集中。
基本的な機能以外にも、例えば耳石器の進化も
クラゲ・イソギンチャク→ナメクジウオ・ヤツメウナギ→サメ・エイ
といった感じでその進化をみていくと、
前庭小脳の発達と顎の発達は並行して進化しているというお話も、
視覚機関と顎運動システムについての論文のお話も、
ナチュラリゼーションのワークと繋がっていくようでとても興味深かった。

変わりゆく環境の中で
生きていくために進化した機能。
私たちは今、何を忘却し何を獲得して
生きていこうとしているのだろうか。
予測することで危険を回避し生命を繋いできた
でも動物達と違うのは
概念が作り上げた恐怖や危険に翻弄されて
その予測のしくみを自ら乱している様な気もする。

November
夏の過酷な天気に
樹々たちも消耗してしまったのか
里山の公園の樹々たちに比べて
市街地の今年の紅葉は彩もそこそこに
枯れ落ちてしまったような落ち葉も
今年は多い気がする。

街中では早くもクリスマスソングが流れていて
年の瀬に向け背中を押されている様な気分にもなるが
マックス・リヒターのNovemberを聴き
風に舞う落ち葉達の姿を思い浮かべながら
11月の身体を感じつつ動かした。

先日、来年初頭の公演の案内が届き
そのチラシの一枚の写真に
何故かとても心惹かれた。
一瞬の形の中に美しく働き合う機能が見え
そこからどんな風に動きが展開していくのだろうと
そのエネルギーの流れの行先を想像した。
ワークの中でも時折こうした動きを入れることがあるが
ただそれで終わるエクササイズとしてだけでなく
その先に繋がるかもしれない動きをイメージしつつ行うことも大事なのではないだろうか。
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