Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

学校もダンスのレッスンも休みになって、自宅学習の合間に淡々とワークを続けていた高校生の生徒さんから連絡があった。

「物心ついてから初めて桜をちゃんと観た気がする。」という。

この春桜を見上げた時、舞い降りてくる桜の花びらに包まれて自分が上昇していくような、身体感覚を伴う感動があって、自然と涙が流れたのだそうだ。

「なんだかわからないけれど生まれ変わったような気がした。美しさの意味も変わった。私はここからやっと踊り始められる。」という彼女の言葉が印象的だ。

「美しい」という言葉が持つ意味が自分の中で一旦全部壊れ、「桜」という存在と自分との間に生じた感覚によって、自分と対象とその間にある世界の認識が変わる。それは言葉が経験の場に引き戻された瞬間とでも言おうか。

彼女が言葉にした通り、それはそれまでより拡大した世界に新たに生まれ出た瞬間なのではないだろうか。

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今西  プロト・アイデンティティもそやけど、生物はすべて意識を持っとらんということになっている。仮に無意識であったら、不安で、これ生きられへんと思うのや。それを彼らが平気でやってるのは、直観が働くからです。われわれの直観は、これ、意識で与えることでけへん。だから動物も、植物も、みな直観の世界に住んでるのやないか。人間も意識以前はそれと同じ世界に住んでたんや。直観というものをもう少しまじめに考えたらね、これは意識と違いますよ。ひらめきやからな。

ーー直観は無意識の世界から意識の世界へ入ってくると。

今西 自然というものは、中間存在で、無意識の世界と意識の世界と両方に重なっている。意識と無意識の中間とか、そういうどっちかに割り切ってしまわないとこら辺に、自然観というものがあんのや。
この自然観というものは非常に深いとこに住んでますな。自分の体の中で言うたら、深いところは無意識と重なってんのや。表層のとこへ来れば意識です。

『岐路に立つ自然と人間』今西錦司 アーツアンドクラフツ
 「自然学」の提唱に寄せて より

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