導き
2020/05/11
筋肉を鍛えるとか
〜のように使うとかいった意識は
どうしても自我の密度を濃くし
それが捉えられる
「半分」の中に囚われてしまう。
それがどれだけ
物質的に理に叶ったことでも
そこに感じられ、あるいは見える力は
少なくとも私には気持ちの悪い力だ。
結果としての感覚の言葉をロゴスで捉え
それを目的にしてしまった動きもまた
筋違いの回路に入っていく。
その堂々巡りから飛び出し
自らが求める踊りの質感に
近付いて行くために
赤ちゃんのように
動きと身体に出合い
「わたし」に出会い直す道のりが
私には必要だった。
微睡むほどのリラックスを経て
目を閉じインプロを踊るという体験が
開いた隙間
かつて師がなぜ
そういう経験を重ねさせたのか
鏡を廃し、言葉を非常に繊細に用い
そして母音と動きとを
丁寧に結びつけていったのか。
長い長い時を経て
それら一つひとつの星が結びつき
新たな星座が見えてきたような感触を覚える。
次は無いかもしれない
都度本気でそう思っていたほど
文字通り一期一会の心づもりで
稽古を重ねた日々から
まるで時の流れの隔たりが
消えたような手触りとともに
私は今なお導きを授かっている。
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