Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

かつて白鳥のアンサンブルを踊った頃

師は、背中合わせで他者を感じて動くというワークを課した。

 

あるダンサーさんを本当にすごいと感じたのは

その文句なく流麗な動きや美しい肢体を観てではなく

むしろアンサンブルとしてその人に背中を向けて立っている時

後ろをただ歩いて通過していくその気配に

「この人、いったい何者?」と鳥肌が立つような体験によってだ。

 

パ・ド・ドゥでプロムナードをする時

パートナーを感じるのも背中側の意識だったように

後ろ側で他者を感じるというような体験は

結構ダンスの中では多かったように思う。

 

 

そして施術をする時にも似たような面がある。

自分の意識が前のめりになっていると相手の身体は緩まない。

むしろ無意識のうちの抵抗のようなものを覚える。

後ろ側で対象を感じる時、その身体は開いてくれる。

 

誰かの話を真剣に聴こうとする時も

意識はむしろ後ろ側に位置しているように感じる。

  

それは主観に過ぎないかもしれないが

私はいつもそんな風に感じてきた。

  

だから

他者や世界を意識はどの位置で捉え

つながりを築いているかというような

Noosの考えはとても興味深い。

ψ7は馴染みのある感覚のように思える。

B5abc10f4517475a98115fd84609fd54

物理や幾何に疎いので読み進めるのも亀の歩みだが。

936c3dc95e2449a0a0ff5705ff254e33


 

今カオスの様相を見せ

様々なアドバルーンも浮かぶような世の中の眺めも

前のめりになって意識を奪われていると

後ろ側での出合いを失ってしまうものかもしれないと

感じたりもしている。

Cbcbf7f19d554023802990d8e8e2fd27

0da4e60296ac4b47aa5d9fe1feae9f2c

コメント

この記事へのコメントは終了しました。