Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

ひな祭りの日、父はひと月ぶりに退院して自宅に戻った。

とはいえ、今のところ食事も殆ど摂れずの状態は変わらずで、療養型病院に転院か在宅かの二択だったが、本人と母の希望とその意思と気持ちを尊重したい私の気持ちが一致しているので帰宅する事に。

 

 

病院のソーシャルワーカーさんが今後を引き受けて下さる訪問診療の病院や訪問看護ステーションをご手配下さった。

高齢者支援センターからご紹介戴いたケアマネジャーさんも、とても親身にサポートして下さるベテランの方だし、訪問看護ステーションの代表の看護師さんも、父はもちろんだが家族の支援も含めて看護って下さる暖かく頼もしい方で、退院の数日前の面談でお二人とお話ししただけでも、母も私もかなり安堵感が増した。

退院当日の夕方の初の訪問看護時には、早速母に自宅での介護の知恵を色々と授けて下さった。

 

入院していた病院のソーシャルワーカーさんも、サポートチームが決定した際の顔ぶれに「幸運ですね!」と仰っていらしたが、ここ数日の間のやり取りからも、有難い事に人に恵まれたなあと感じる事が度々。

 

偶然だがケアマネさんの所属する事業所からは昨年1月に車椅子を1日お借りして父を病院に連れて行った事があった。

また訪問看護の代表さんは何とタイ語を勉強中との事で更に親近感が増し、何か今に繋がるご縁もどこかにあったのかもしれないという気がした。

 

父が帰宅して暫くして雨は雪に変わったが、自宅に戻れた父の表情も病院にいた時より随分と安らいでいるのが感じられた。

 

介護のレクチャー時に看護師さんが母に

「人が食べなくなるのはちゃんと意味とか訳があるんです。」とも仰っていらしたそうで、母も「わかるような気がする。介護しながらまるで、即身仏か断食してる修行僧みたいと思った。」と言っていた様に、父は安らかに逝くための人生最後の修行をしているのかもしれないとも思えた。

 

そう思うと尚のこと悲壮感というより、むしろ温かな気持ちで自然のままのその旅立ちを支えたいという想いが、私の中の小さな灯火となるようにも感じ、改めて退院できて良かったと思った。

 

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