春雷
2026/04/11
春の嵐の晩、それでもきっと散らない花は多く残るような気がしていた。
青く澄み渡った晴明の朝、やはりまだ多くの花が残っていて、その姿はどこか誇らしげに見えた。


咲く花の美も、風に舞い散りゆく美も、
散ってなお地面に描く淡いピンク色の美も
今、そして記憶の中にある
様々な情景も呼び覚ましながら
この季節を優しい色彩で抱擁してくれた桜。
花散らしの雨の晩、幾度か響いた春雷に
新緑の鮮やかな季節へとバトンが渡されたような気がした。
翻訳
身体感覚に関わる学びの中では
様々な導きの言葉に出合う。
その表現がそのままスッと自身の感覚的理解に繋がる場合もあれば、そうではない場合もある。
でも後者であっても、その表現によって求められたことを違う角度から探りながら、自分の感覚にしっくりくるように、いわば「翻訳」していく過程が面白いものなのだと思う。
私自身はどこかを変えようとする時、直接的に意識を向けるとどうも上手くいかないタイプで、注意されたことを、裏(例えば背中や腰と言われたら胸骨からとか恥骨からとか)や違う部位から間接的に操作してみるような事をいつも行ってきて、その内なる翻訳作業を楽しんでいた節もある^^;
タンデュやデガジェなども、
前に脚が出る動きでは恥骨を後ろへのベクトルで感じ、
後ろに脚が出る動きでは恥骨を前にという風に。
要は感覚がへそ曲がりなのかもしれないが(笑)
フォーカスを移すことで、結果として体内に「張り合う」或いは「せめぎ合う」感覚や、
体幹と末端との間に生じるエネルギーの螺旋を見出す楽しみがある。


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