Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

駅までの道を歩くと、民家の庭先に咲き始めたまだ小さい白い紫陽花にも移ろう季節の気配を感じる。

 

落葉樹は変化がわかりやすいが、金木犀の様な常緑樹も新緑を伸ばし始めると、古い葉を少しずつ落とし始めたりと循環の表情を見せる。

  

いつもの道でも、その日その時で毎日違う何かがある。

目的地に到達することだけに意識を奪われていたらきっと見落としてしまうような小さなこと。

 

脳の働きを思えば確かにそれが合理的なのかもしれないが、「ん?」と差異に気付けるのは、認識していなくても見ていた…脳にはその以前の景色の情報が届いていたからだろう。

  

そんな日常の中の「見ていなかったようで、見えていたこと」に気付く繰り返しも、感性を錆びつかせないために大切なことの様に思う。

  

身体の中で起こっていること、身体が求めることを「聴く」というのも、それと通ずるところがあるから。

  

 

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遠まわりして通ったデイサービスの施設の前は百花繚乱。

綺麗と感じつつ、その花を植え育てた人の想いや、眺めて和む様々な人々の想いを想像する。

 

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日常の中に想像のレッスンの機会は無数にある。

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