Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

ヨガのインストラクターをしているかつてのダンス仲間と会う機会があった。

仲間といっても娘位の年齢で、彼女がまだ新体操をしている頃にサポートをさせて戴いていた。

 

ジャンルは違えど身体や動き、そして心を探究し続けている人との会話は楽しく、長く経験してきたことと違うアプローチから自らに出会い直す面白さについても語り合った。

 

私の場合も、ターンアウトや胸郭の動きに関しての感覚イメージは、ナチュラリゼーションでの経験を通じて、それ以前とガラリと変わってしまった面もある。

 

例えば、ターンアウトは手の指立ちのワークを試行錯誤する中で感じたことがヒントになったり、胸部のコントロールに関しては、胸椎や肩甲骨、胸郭の自由度が増すほどに、同じ「裏」や「遠隔操作」でも、それまでに無い選択肢や「内なる翻訳」が生じてきたりと、違う動きを通じてバレエの動きの感じ方も更新されていくのが面白かった。

  

そして、いつからかターンアウトという働きは私にとっては股関節や脚だけでなく、体幹や眼(視覚)・耳(聴覚)に至るまで全身が内側から捲り返されるように感じられ、アンドゥオールというバレエ用語の「ドゥオール(dehors)」という言葉が、l'envers au dehors(裏側を表に)といった意味を持つことも腑に落ちる気がしたという様な話もした。

 

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そう言えば、かつて師も「骨盤の内側をスクープする様に」と表現していらした。

当時、そのイメージは想像できても身体が追いつかなかったが、動きを原点からやり直し徐々に心身がほどけ、また試行錯誤の中で自分なりの「遠隔操作」を見出して結果として生じてきた体感に、「スクープされる」様な実感が伴い、経験が体現になった時初めて手渡されたものの一片をようやく受け取れた様にも思えた。

 

バレエが求める形には確かに厳格なものがあり、そこに我が身を寄せていくことに切磋琢磨する訳だが、例え不十分でもその身体が「捲り返される」様に感じられた時の自分の心のあり様も世界の見え方もまたクルッと反転する様な居心地を伴い、形は寧ろそれに出会うためにあるのではないかとさえ思える。

 

特に近年は何かと不安を煽られる様な事象が多かったりするが、そういうものに触れた時もアンドゥオールの際の在り様を思い出すと、不思議と動揺しなくなるというか…自分の中に静けさを取り戻すことができたから。

 

そのあたりは私にはまだ上手く言語化できないが、ダンスを通じて師が伝えたかったことは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。

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