
語彙
2022/02/10
凹凸や不規則な勾配のある道を歩いていると
平らな道ばかりを歩いていた時のパターンが
足元から解体されていくような感じだけれど
その「解体」という言葉とは
ちょっとニュアンスが違うような気がして
でも言葉が見つからない
という学生さん。
私たちはつい上書きするように
足し算で何かをしようとしてしまいがち
でも、彼女のいう通り
すでに成立してしまっているシステムを
解体していくことも同時に必要なのだと思う。
ただ、システムや解体というと
どこか機械的で違和感があるというのも
私自身共感を覚えるところ。
私が表現するとしたら
結びついていたものがほどかれる・・・かな。
ただ、それが正解ということではなくて
自分の感覚にしっくりくる言葉を
見出しやすくするために
語彙を豊かにしていくこともきっと
単に他者に伝えるというだけでなく
自分自身の感覚体験に
たおやかな言葉の付箋をつけるような意味でも
役に立つのではないかな。
少し古い時代の日本の文学や詩や俳句に触れてみるのも
良いと思う・・・というような話をした。
そういえば、数学者の岡潔氏が『春宵十話』の中で
芭蕉一門の句についてこんなことを綴られている。
芭蕉一門の句に「春風や麦の中行く水の音」というのがある。だれでもこの句で広々とした早春の景色が目に浮かぶと思うが、使ってある字はひょうびょうとした春風とかくれて見えない水の音ばかりで、色や形のあるものは出ておらず、意味というほどのものもない。それでいて春の野の風景をありありと連想させる。芸術というのはこういうものではないか。芭蕉はこの句を「景色第一なり」といって名人でも容易に詠めるものではないとほめ、これを発句に見たてて「かげろう いさむ花のいとぐち」とわきを添えている。本当の芸術は決して擬音ではないのである。
岡潔『春宵十話』光文社文庫 「音楽のこと」より
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