
汲めどつきせぬ
2025/08/27
午前中から日差しは相変わらず強烈なのに
スタジオに入って暫くすると
スッと涼やかな空気感に包まれる。
それは気温のことでは無く
そこに集う人の想いが
醸し出しているものなのかもしれない。
場が変わっても
この気持ちの良い集中と共にある
涼やかさは変わらないものだと感じた。
ガラス越しの柔らかな光の中で
パピーポジションになり
その日の身体を聴き
小さな動きから対話を始めていく。
そんな時、よく思い出す詩の言葉がある。
自然という汲めどつきせぬ一冊の本を読むには、まず身をかがめなければいけない。
さあ、今日はどんな「なぜ」にであい
いつもの動きの中に
身体という自然の中に
新たな探究の入り口を見つけられるだろうか。
そして、そのきっかけを届けられるだろうか。
そんな事を思った新たな始まりの日。
この地球の上で、とファーブルさんはいった。
人間はまだ、しわくちゃの下書きにすぎない。
われわれ貧しい人間にさずかったもののうちで、いちばん人間らしいものとは、何だろうか。「なぜ」という問い、とファーブルさんはいった。
ものの不思議をたずね、辛抱づよく考えぬくこと。
探究は、たくましい頭を必要とする労働だ。
耳で考え、目で考え、足で考え、手で考えるのだ。
理解するとは、とファーブルさんはいった。
はげしい共感によって相手にむすびつくこと。
自然という汲めどつきせぬ一冊の本を読むには、まず身をかがめなければいけない。長田弘『ファーブルさん』(ハルキ文庫/長田弘詩集)
例えば腸腰筋のストレッチの様な動作でも
伸ばす側では無く
支える側の股関節の動きを見直してみる。
屈曲が深くなっていくと
浮かび上がる代償動作。
正直に動こうとすると生じる
その詰まり感を見過ごさず
なぜを考えていく。
回転する動きと滑る動き
その調和を乱しているのは
どんなストレスや働きの不足なのか。
その様なお話もしながら
改善のためのワークも幾つか行った。
何となくやり過ごしている事が
先々の痛みや故障にならないように。
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