Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

むさぼるように読んでしまう本との出合いというのが稀にある。
それが、この『未来のルーシー』。
読み終えて、改めてじっくりとレンマ学を読み始めたいと思った。

折しも外出の自粛要請が出ている週末だが、ちょうど5週目で仕事もオフ。
読書に没頭できる時間はたっぷりある。

私がゴリラや自然との付き合いで学んだのは、曖昧なものは曖昧なままにしておこうということです。それは仏教の、ありのままにという考え方とよく似ています。つまり、正解を求めないということです。人間の頭で考えた論理的正解を追求しない。それが生き物との付き合いだと思います。他のところで了解しあっているかもしれないし、それに自分は気がついていないだけかもしれない。しかしそこでは身体が反応しあっているから、向こうは了解してくれる。ただ了解点を感知することが重要であって、理解を深めることが重要なのではありません。中沢さんの書き物を読んで、それはレンマの発想なのだなと思いました。つまり、深く理解しあうということは、自分が相手の対象になり、相手が自分の対象になるということで、自分が利用できる目的論的な話に従っていたら解釈をどんとん狭めていくということになる。そこで抜け落ちてしまうものはたくさんある。そのことを捨象してしまって、すべてを目的論的に解釈し、無駄なものは捨て、有用なものだけ取り入れ改造していくというのが近代科学のもたらしたものだという気がします。

『未来のルーシー ―人類史のその先へ―』中沢新一 , 山極寿一 (著) 青土社

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明け方には花散らしの雨も雪に変わるのだろうか。
今はまだ雨音と時折唸る風の音を聴きながらこの本の余韻を味わっている。

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