Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

今日は少し趣向を変えて文学系の読書。
先日の福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』の中に、私の好きな作家須賀敦子氏の『ザッテレの河岸で』の中の文章が引用されていて、久しぶりに須賀さんの描くイタリアに触れたくなった。


このところの報道でイタリアのことが取り上げられるたびに、数年前ウンブリアやトスカーナの田舎町をドライブ旅行した時出会った人々を思い出し、美しい風景が瞼に浮かぶほどに何とも切なくなるのだが、このエッセイは「リオ デリ インクラビリ(治る見込みのない人たちの水路)」 というヴェネチアの通りの名前を巡るあれこれが綴られていて、私が垣間見た風光明媚で陽気なイタリアではない、疫病の歴史に関わるストーリーなのだ。

こういう時期に読むと、なお重い。
けれども、その重さに目を背ける気にはなれず、須賀さんの文章を辿りながら読み終えると、それでも結ぶ言葉にどこか救いのようなものも微かには覚えつつ、なんとも言い難い読後感をあじわっている。

思いがけなく、ひとつの考えに私はかぎりなく慰められていた。治癒の望みがないと、世の人には見放された病人たち、今朝の私には入口の在りかさえ見せてくれなかったこの建物のなかで、果てしない暗さの日々を送っていた娼婦たちも、朝夕、こうして対岸のレデントーレを眺め、その鐘楼から流れる鐘の音に耳を澄ませたのではなかったか。人類の罪劫を贖うもの、と呼ばれる対岸の教会が具現するキリスト自身を、彼女たちはやがて訪れる救いの確信として、夢物語ではなく、たしかな現実として、拝み見たのではなかったか。彼女たちの神になぐさめられて、私は立っていた。

『地図のない道』須賀敦子 新潮文庫
「ザッテレの河岸で」より


その主題からは離れるが

どこの国語や方言にも、国や地方の歴史が、遺伝子をぎっしり組み込んで流れる血液みたいに、表面からはわからない語感のすみずみにまで浸透していることを、ふだん私たちは忘れていることが多いし、語学の教科書にもそれは書いてない。

さらりと綴ったその一文が妙に心に残った。

巻末の解説にも以下のようにあるが、到底たどり着けない深みを前にとても「語る」ことなどできないという、私の中でもいつも隣り合わせのようにある感覚に重なってもくる。
そして、今回のコロナ禍に関しても、他国の対応を比較し優劣で切り分けたり、〜だからだと決めつけるような物言いに覚える違和感に響いてくるものがあったのかもしれない。


定住者感覚を持つにいたったこの時機には、自前の比較文化論を書きたくなる人が少くないだろう。第一印象の段階を卒業して、異国の土地と人びとの現実がありありと見えてきた、と思いたくなる。日本との比較において、評価と批判が出てくる。自分の体験の範囲内で判断したことを、普遍化したくなる。
 しかしそのあと、人びとの生活と考えの多様性が見えてくると、そんな威勢のいい普遍化はむずかしくなる。これまでにかなりの時間と努力をついやして学んだ言語にして、自分にはその言語が―従ってその土地の文化が――根をおろしている地層の深さまではとうていたどりつけないだろうと、気落ちしはじめる。沈黙に徹するか、それともあえて口をひらこうとするなら、そのあとにどんな道が残されているか。

解説「運河の岸のうしろ姿」矢島翠 より

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