
あわい
2023/01/13
今から15年位前に師から拝借して読んだ本が、ちくま学芸文庫から出版された事を知り、早速取り寄せて再読している。
当時一度読んだだけだったが、
「自ら成す」と「自ずから成る」のあわいを行き交いながら螺旋を描くように続いていく道。
という事を、折に触れて自問するようなきっかけを与えてくれた一冊。
文庫化にあたり大幅に改訂したとの事なので、以前読んだものとは若干違う様だが、いずれにせよ生涯問い続けるテーマである様に感じている。
比して「あわい」は、二つのものが両方から出合いながら、重なったり交わったり、あるいは背いたり逆らったりするという、より動的な状態や関係を表す。AとBとを「あわい」において問うとは、AとBそれぞれ輪郭・概念をはっきり捉えたうえで、その「あいだ」を問うということではない。AはBとの「あわい」においてA、BはAとの「あわい」においてBとしてのあり方を現していくというような、そうした動的な相関として考えるということである。配色や釣り合い、色合いなどにおいて、たがいを「合わせる」ことによって、それぞれがそれぞれとして浮かび上がってくるように、両者を相関において問い直していくということである。
それゆえ、「おのずから」と「みずから」を「あわい」において考えようとすることは、自然と自己、自然と作為といったような、あるきまった概念としての名詞と名詞の二項対立として考えることではない。そもそも「おのずから」も「みずから」も 、もともと実体を指す言葉ではない。形容語としての副詞でもある。そうした「二つ」を「あわい」として相関させたときに見えてくるものをあらためて考えようということである。
竹内整一 著 「おのずから」と「みずから」ちくま学芸文庫
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