Baby Steps

ゆっくりと歩む日々の眺めと言の葉

非日常的月間の徒然⑥

この状況になって悔やまれることのひとつは 「ブダペスト展」を観にいくのを先送りしてしまっていたこと。 間近で観たかった1枚の絵 メドニャーンスキ(Baron László Mednyánszky)の ...

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詩というものの力

長田弘さんの詩を読むと 静寂と共に 心身に透明なスペースが広がる。 詩というものの力を 余白の深みを 感じる。 まるで、今の私たちに 語りかけてくるような一節を 『世界はうつくしいと』という詩集から。...

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植物性器官

レンマ学を読み込んでいくほどに、三木茂夫氏の『ヒトのからだ』に載っていた図や「植物性器官」「植物極・動物極」についての一節が鮮やかに蘇ってくる。 今はまだ、その腑に落ちるような感触を言葉に切り取るのは...

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非日常的月間の徒然⑤

昨日は実家の庭の手入れ。 金木犀の木の剪定をしつつ春の陽射しと新緑を味わう時間を過ごした。時々やってくる野鳥の囀りに耳を澄ませたり鼻歌交じりに淡々と作業する、そんな何でもない時間は大切だ。 太陽の光も...

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非日常的月間の徒然④

私は今のところこの1ヶ月間のオンライン・レッスンのようなことは考えていない。 この状況下で役立つかもしれないことは2月、3月のレッスンやメンバーページである程度ポイントを絞って伝えてきたというのもある...

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非日常的月間の徒然③

『レンマ学』を読み込んでいくにあたって、もう1冊併読しているのが竹村牧男氏の「『華厳五教章』を読む」なのだが、そのページを開き始めて間もなく『<いのち>の自己組織』の清水博氏のお名前が出てきた。 私は...

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「レンマ的」なものの気配

「先生は、前からよく”生き抜いていくために”って書いてて、そのときは大袈裟だなあって思ったけど、今はそう思わない。」 高校生の生徒さんは、そうも言っていた。 確かに2018年初頭のブログにもこんなこと...

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非日常的月間の徒然②

一旦進路に対する考えをリセットした生徒さんが 今日こんなことを言っていた。 カンパニーに入って舞台で踊る、そのために海外で学ぶ、 当たり前のようにそういう目標に縛られていた時に 感じていたお腹が働くと...

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インクラビリ

今日は少し趣向を変えて文学系の読書。 先日の福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』の中に、私の好きな作家須賀敦子氏の『ザッテレの河岸で』の中の文章が引用されていて、久しぶりに須賀さんの描くイタリアに...

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